2023年9月から10月まで行われるラグビーワールドカップフランス大会で司令塔として10番を背負って戦うパナソニックワイルドナイツ所属の松田力也選手。
前回大会では全試合途中出場と控えに甘んじていましたが、今大会では見事に先発を獲得しました。
司令塔としてゲームを司るだけでなく、プレースキッカーとしても活躍が期待されていますね!
日本代表に選出されるほどの実力をもつ松田力也さん。
ラグビーを始めた経緯には亡きお父さんの影響が色濃く反映されていました。
今回は今もなお固く結ばれている親子の絆、そして松田力也さんの家族構成を調査いたします!
ワンフォーオール!
オールフォーワン!
松田力也の父は元ラグビー選手
引用:NHK NEWS WEB
松田力也さんのお父さんは松田大輔さんという方です。
京都府宇治市を本拠地とするユニチカ・フェニックスという社会人チームに所属していました。
ユニチカ・フェニックスは前身である日本レイヨン宇治工場ラグビー部として1958年に発足された歴史あるクラブチームです。
松田大輔さんの在籍当時のポジションはフォワードだったそうですよ。
フォワードは体を張ってボールを守り前に進めていくポジションです。
きっと屈強な肉体と精神の持ち主だったんでしょうね!
松田力也がラグビーを始めたきっかけは父の影響
ラガーマンである父の背中を見て育った松田力也さん。
ラグビーに惹かれたのは必然だったのかもしれません。
しかし、松田力也さんの幼かった頃の夢はプロ野球選手になることだったそうですよ!
いつの時代もプロ野球選手は人気がありますね。
松田力也さんは小学校に入学する前から野球チームに入部したかったそうです。
ところが当時はどこのチームも小学3年からしか入部を許可していませんでした・・
そこで、これ幸い!と思ったかどうかは定かではありませんが、父・大輔さんは松田力也さんをラグビースクールの練習に連れて行ったそうですよ(笑)
ラグビー選手 松田力也の誕生です!
突然の別れ
親子二人三脚でラグビー道を邁進していた松田力也さんと父・大輔さん。
順風満帆に我が子の成長を見守っていくはずだった大輔さんに思わぬ悲劇が襲いかかります・・
その日はクリスマス。
ラグビーに魅了された松田力也さんは小学5年生にまで成長していました。
所属していたクラブチームの試合に出場していた松田力也さん。
プレー中に密集の下敷きになり肩を負傷してしまい、救急車で搬送されることに・・
父・大輔さんはその当時、飲食店を経営していました。クリスマスを含め年末年始はサービス業にとって繁忙期です。
そんな忙しいなかでも父は息子のために試合に応援に行き、病院にも付き添ったそうですよ。
診察の結果、怪我は大事には至らずその日のうちに自宅に戻った松田親子。
ほっと安堵したことでしょう。
父・大輔さんは夜の営業に備えて仮眠をとろうとしたそうです。
「軽く寝るわ」
これが最後の会話となってしまいます・・
39歳という若さで大輔さんは帰らぬ人となってしまいました。
くも膜下出血でした。
松田力也さんは病院で横たわる父を見て、
自分が怪我をしなければ違う未来があったんじゃないか
と、強く自分を責めました。
病院に駆けつけた父・大輔さんの親友はその時の様子を鮮明に覚えているそうです。
「大輔(父)が寝かされている部屋に入ったとき、ぱっと力也と目が合ったんです。そしたら『僕のせいでお父ちゃんが死んだ』と泣きながら言っていました。もうその場面だけは忘れられないですね」
引用:NHK NEWS WEB
あの時こうしていれば・・
もっと話しかければ良かった・・
遺された側は強く後悔の念に駆られてしまうものです。
そして、愛する家族を置いて旅立つことになってしまった父・大輔さん・・
どんなにか無念だったことでしょう。
固く結ばれた親子の絆
父を亡くし失意の中にいた松田力也さん。
再び生きる活力を与えてくれたのは父が残してくれた言葉でした。
ラグビー選手として、高校日本代表に入ることができたらお前の勝ちでいいよ
京都選抜にも選ばれたことがあるほどの実力をもっていた父・大輔さん。
親から子へ放たれた言葉は同じ競技をやる者にとって大きなハードルとなったことでしょう・・
しかし、この言葉こそが松田力也さんを奮い立たせることになるのです。
その後、地元である京都の伏見工業高校へ進学。
キャプテンとしてリーダーシップを発揮し、全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。
そして、高校2年生の時についに高校日本代表に選出されました。
お父さんからの課題(約束)を見事に果たした松田力也さん。
そこから日本代表への憧れを強くもったそうですよ!
高校卒業後は帝京大学に進学。
のちに日本代表でチームメイトとなる姫野和樹さんと出会うことになります。
そして、2016年に日本代表スコッドに選出。
スコッドとは代表予備軍的な集団を指すそうです。
おもにラグビーにおいて国代表などのチームを編成する際に、これに先立って代表に選出される可能性の高い者を選抜して編成する選手集団を指す呼称。
引用:Wikipedia
大学卒業後、パナソニックワイルドナイツに加入。
2019年についに日本代表に初選出されました。
親子でスクラム!
松田力也の家族構成
松田力也さんの家族構成を調査したところ、
- 母
- 長男(松田力也さん本人)
- 妹
の3人家族とのこと。
お母さんと妹さんの名前や職業は分かりませんでした。
また、松田力也さんは2017年に結婚されており奥様がいらっしゃいます。
昨日はラグビー日本代表の松田力也さんと彼女さんにお会いしました☆晃誠といっぱい遊んで頂きました(>_<)
写真もサインも本当にありがとうございます☆
忙しいなか貴重な時間ありがとうございました(/_;)/
これからも応援してます! pic.twitter.com/OITmTi6TOx— 美咲 (@misaki20133151) July 10, 2016
松田力也さんの友人が投稿したX(旧Twitter)では彼女さんと紹介されていますが、翌年に結婚されているのでおそらく現在の奥様だと思われます。
お似合いのおふたりですね!
そして画像のお子さんは友人のお子さんとのこと。
松田力也さん夫婦に子どもがいるかどうかは分かりませんでした。
松田力也のプロフィール
引用:J SPORTS
- 本名:松田力也(まつだ りきや)
- 生年月日1994年5月3日
- 出身地:京都府京都市
- 身長:181cm
- 体重:92kg
まとめ
松田力也さんのお父さんは社会人チームに所属していた元ラグビー選手だったことが判明しました。
残念ながら39歳という若さでお亡くなりになられましたが息子である松田力也さんをラグビーの道へといざない、日本代表の10番を背負う選手になるまで導きました。
今もなお親子の絆の結びつきは固く、松田力也さんは素の自分を出せる場所はお父さんの墓前だけだそうです。
姿、形は見えなくても大きな愛で家族を包み込んでいる父・大輔さん。
そしてその想いに応えるべく日々の練習に励む松田力也さん。
試合中に司令塔としてチームメイトを鼓舞するとき、そしてプレースキッカーとしてひとりボールに対峙するとき・・
さまざまな場面で松田力也さんの隣りには必ず父・大輔さんが寄り添っていることでしょう。
ラグビーワールドカップフランス大会でのご活躍を期待しています!
それでは、また
コメント